青島概要  主なイベント 青島とオリンピック


 

青島地理

 

 

青島は、中国東部における重要な海浜都市であり、国の歴史文化都市であり、風景の素晴しい観光地である。

shandong

青島は、最も経済活力のある十大都市の一つにランクされ、「企業家満足賞」を獲得している。
青島は、国から環境保護模範都市、衛生都市、林業都市に指定され、優秀住環境賞を得ている。
青島は、2008年第29回オリンピックヨット競技開催都市であり、中国におけるヨットの都である。
青島は、中国14沿岸開放都市、8つの国際会議開催都市の一つでもある。
青島は、中国の重要な湾岸貿易都市である。

青島は、重要な海洋科学研究地でもある。


青島は山東半島南端(北緯35度35分~37度09分、東経119度30分~121度00分)に位置し、黄海に面している。青島は、山に囲まれ海に臨み、風光明媚、気候もよく、一つの独特な特色を持つ海浜都市である。全市の海岸線(島嶼部も含む)は総長870㎞、そのうち大陸海岸線は730㎞、山東省の海岸線の4分の1を占めている。海岸は曲折し、岬と湾を交互に繰り返す。

青島は、7つの区、5つの市を直轄している。総面積11026平方㎞、総人口731.12万人。そのうち市区は1159平方㎞、人口272万人である。

 青島は北温帯モンスーン気候区域にあり、温帯モンスーン気候に属する。市区は海洋環境の直接の働きで、海を渡る東南季節風と海流、海水の影響を受け、海洋性気候の特徴を顕著に示している。気候は温暖湿潤で、四季がはっきりしている。春は気温がゆっくりと上昇し、内陸と比べて1ヶ月遅い。夏は湿熱多雨だが、けっして酷暑ではない。秋は天高く気候は爽やかで、降水量は少ない。冬は、風が強く気温の低い期間がやや長く続くが、厳寒というほどはない。

 

青島歴史

 

 

青島は歴史文化で有名な都市であり、道教の発祥地である。6000年前には既に人類がここで生活、繁栄していたとされる。東周時代には、山東地域で2番目に大きな町・即墨が建設された。秦の始皇帝は、中国統一後、青島膠州市の琅?台に三回登っている。秦代には、徐福が船団を組み、琅?台から朝鮮、日本に渡った。漢代の漢武帝は現在の青島市城陽区の不其山「交門宮詣で」を行い、あわせて膠州湾畔女姑山で先祖を祭り、立明堂を九か所建てた。清朝末年、青島は既に繁栄した町になっており、かつては膠澳と呼ばれていた。

 1891年6月14日(清光緒17年)、清政府が膠澳に防衛兵力を置いたのが、青島建設の始まりである。1891年11月、ドイツが「巨野教案」を口実に派兵、青島を占領した。1914年に第一次世界大戦が勃発し、11月には日本が青島を占領、ドイツに代わり軍事殖民統治を行った。1919年、中国近代史上有名な「五四運動」は、「青島を取り戻せ」がきっかけになっている。1922年12月10日、中国は青島を取り返し、商港を開くために膠澳貿易場監督庁を設立し、北洋政府の直属とした。1929年7月、青島特別市を設置。1930年には、青島市に改称した。1938年1月、日本が青島を再び占領。1945年9月に国民党政府が青島を接収、特別市とした。1949年6月2日、青島解放。1986年、青島市は国家計画の実践リストに載り、省一級に相当する経済管理権限を賦与された。1994年には、全国に15ある副省級都市の一つとなった。

 

 


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